【生産者の現状】

生産者の現状を見ていきたいと思います。

図は、日本の採卵鶏の農家戸数を示したもので、2021年9月にできたばかりのものです。今は、 1,880戸数あります。平成29年には2,560戸数。昭和の40年代には何百万戸数ありました。戸数 に対して、鶏の数は現在1億4千万羽で昔とあまり変わっていません。一戸の生産者が飼育してい る羽数が非常に増えていることになります。一戸あたりの平均飼育羽数は、約7万5千羽です。毎 年これは増えています。

日本の採卵鶏の農家戸数

私たちがケージフリーの仕事をしている時に、皆さんがご存知のような大手の食品企業と話をし ます。大企業が使っているのは、ほとんどはインタグレーション、つまり飼料の輸入から養鶏まで やっている養鶏場になります。小規模な農家でアニマルウェルフェアを実践している人たちは沢山 いると思いますが、大規模な生産者が変わっていくことが鍵になると思います。

私たちの活動は、簡単に言うと、ケージの鶏をケージフリーにすることに尽きます。活動が進ん でいくと実際には課題もでてきてはいますが、当面の数年はケージフリーをミッションとしてい ます。

【「アニマルライツ」と「アニマルウェルフェア」の違い】

「アニマルライツ」と「アニマルウェルフェア」という言葉を聞くことがあると思います。違いを 説明しておきたいと思います。

アニマルウェルフェア推進派は、娯楽・産業・スポーツなど、どんな場面においても人間による 動物の使用を認めますが、使う動物にとって適切なケアと管理のための規制やガイドラインな ど、ある程度の配慮が必要だと考えます。飼養する動物の管理の責任者として、適切な福祉を配慮 するということがアニマルウェルフェアの考え方です。

私たちヒューメインリーグのケージフリーという運動も、卵や畜産の存在があるのを承知したう えで、それを動物のためによい方向に変えようというのがアニマルウェルフェアの推進という考え です。

それに対して、アニマルライツは、動物にも人間と同等の権利があるという考えです。人間は動物 を利用する権利はないと考えます。競馬やサーカスや狩猟や動物実験など、動物の使用は全面的 に廃止しましょうという考えのもとに運動しています。

さらに厳格なものには、アボリショニストというのがあります。廃止論者とも言われますが、 ペットの飼育もしてはいけません。動物は、人間に一切支配されるものではないという考えです。

最近は、アニマルライツの人たちも戦略的にアニマルウェルフェアを促進する人たちもいますの で、どこでクリアに線引きできるかは難しいところもあります。

アニマルライツ

【西洋の動物擁護の考えのポイント】

西洋の動物擁護の考えのバックグラウンドを簡単なものですが用意しました。

西洋文化の哲学のなかで、動物とはなんぞやという議論が紀元前より続けられてきました。ギリ シアの哲学者ピタゴラスやアリストテレス、フランスのデカルトなどです。

1700年代に入ると、イギリスのジェレミー・ベンサムという哲学者が、問題は、動物が理性を持っ ているかどうかということではなく、話ができるかどうかということでもなく、彼らが苦痛を感 じてしまうかということであるとしました。

これは、動物擁護の運動の転換期としてきっかけになっていると思います。

これを受け継いで、現在の動物擁護運動の基盤を築いているのが、ピーター・シンガー博士の考え です。「動物の解放」という本を書いた人です。私のような動物愛護の活動家にとってはバイブル のような一冊です。立場によって賛否両論もありますが、多くの人に影響を与えています。ヒュー メインリーグの支援もしていただいていて、ピーター・シンガーさんには高く評価をしていただい ています。

シンガーさんは、脊椎動物に限りますが、動物は苦痛を感じることができる。苦痛を感じるな ら、人間と同様の配慮をするべき存在である。動物という種が異なることを根拠に差別を容認す ることは種差別、スピーシズムであるとしました。動物が持っている唯一の権利は、平等な思い やりを受ける権利であるとしています。ですから、アニマルライツの権利という言葉も、おそらく 司法の権利ではなく、平等な思いやりを受ける権利のことを指していると思います。

1980年代になると、アメリカのトーマス・リーガン博士が、人間以外の動物でも「生命の主体的 存在」であるとしました。道徳的権利があり、その権利はその生命体にとって本質的に価値があ る。そのためにその生命や生命の興味を尊重すべきだとしました。生命の主役は動物本人である と。そこに大きな価値があるという考えです。

生命の主体的
存

【日本の歴史から見る動物愛護観】

動物の活動をしていると、日本は遅れていますからねと話をされますが、本当にそうなのかと思 い、日本の歴史を調べたことがあります。

一番最初に、675年に天武天皇が肉食禁止令を出します。仏教の教えで殺傷はよくないという教え からきています。

日本の歴史をみていくと、肉食に対する何らかの規制が多く見られます。宗教からや精神面から かもしれません。ただ、多様な制限はみられます。時期が4月から5月までに限定されていると か、人間の使役動物、牛馬だけは食べるのをやめるとか、宮廷の中だけでは食べないなどです。 ブラックマーケットも存在していたし、馬の肉はさくらとして流通していたり、鹿はもみじといっ て食べていたり、言葉を変えて流通していたという歴史もありました。

日本が遅れているかというと、必ずしもそうではないと思います。

個人的には、先ほどのリーガン博士の言ったように、人間以外の動物も生命の主体的存在なの で、道徳的権利があって、その権利はその生命体にとって本質的に価値のあるものであるという 考え方が一番しっくりきます。

この考えをもとにすると、動物が生命を営む以上で要求する自然な行動は、利用する人間が担保 するべきであると考えます。当事者として声をあげることができない動物たちの代弁をする活動 家として、常にこのことは踏まえて活動するべきだと、いつも念頭に置いています。動物の問題で 最大のステイクホルダーは、消費者でもなく生産者でもなく企業でもなく、私たちのような活動 家でもありません。生死を人間に委ねている動物たちです。彼らにとってみれば、自分が生きる か死ぬかという問題を全く自分の意思と違うところで決められてしまいます。人間として、人間の 社会のなかで使われる動物に、生きている間は最大の配慮をし、福祉を担保するべきだと思って 私は活動しています。

【私たちができること】

私たちが今後できることとしては、近くの小売店やレストランなど、「ケージフリーの卵が欲し い」と声をかけることが一つだと思います。

今日知った内容を周りの人たちに知らせることも一つです。

SDGsのなかにある「使う責任」というのは、企業に限らず消費者としても、卵はどういうところ で作られているのか、どこで鶏は育っているのか、「使う責任」を念頭に買われるといいのでは ないでしょうか。

最後に、負の外部性といって、経済主体である自分の行為がどこか他に負の要素をもたらしてい ることを常に認識することかと思います。全てのものが繋がっているという考え方のなかでは、一 人の行為が先にあるインダイレクトな誰かに負の要素をもたらしているかもしれません。プラス チックもそうだし、公害なども同様ですが、そういうことを認識して買い物をすることがよいの ではないでしょうか。